【党文化の解体】第1章(5) 「共産主義指導者の偉大さを宣伝する」 (第1章完)

(イラスト=大紀元)

 毛沢東の側近は、毛が大飢饉の間に肉を口にしなかったとして、人民たちと苦労を共にしたと宣伝した。しかし実際は、毛は大飢饉が既に発生していた1959年、湖南省委員会書記の張平化に指示を出して、滴水洞行宮を建築させ、これを「203工程」と呼んだ。1960年下半期から工事に取り掛かって1962年までに、総建築面積3638.62平方メートルの1、2、3号主体工程が、韶山から滴水洞までの連結道路とあわせて同時に竣工した。総工費は1億元であった。もし、このお金で食糧を購入していたなら、湖南省での大飢饉の3年間で、少なくとも150万人の餓死者が発生しなかったはずである。

 共産党指導層の遊蕩した生活は、無節制な欲望からくる放縦に限らない。その権謀術数、冷酷さ、傲慢さに満ちた淫らな生活は、信仰と道徳の制約やマスコミの監視が欠如していることによるものであり、そのため、国家権力を利用して悪行を重ね、災難をもたらしているのである。かつ、低俗で堕落した品性がもたらした示範作用は、社会道徳を急速に下落させた。

 「神を創る」ことは、個人による独裁の基礎になった。神は間違いを犯すことはないため、共産党の指導層もまた真理の化身として粉飾され、人々はただ盲従すればいいとされた。そのため、「鶴の一声」だけが合理化され、一人の頭脳が幾億の頭脳の代わりをし、散々な結果に対してはすぐにこれを正すことはなかった。独自に思考することは危険な事となってしまった。何故ならば、独自に思考すれば、中共が人々に得させたくない結論に到達するからである。その結果、人々は大勢に従い、風向きを見るだけで、自分の人生なのに自ら主人になることができない。すべての問題は、ひたすら中共の意志に同調し、組職の決定を

(イラスト=大紀元)

「神を創る」ことによるもう一つの結果は、多くの人々がひどく迫害を受けた時にも、以前と同様「組職を信じ、党を信じる」ということだ。信仰を持つ人々が迫害を受けると、心中の神に対して祈り、その神の正義に希望を託すことができるが、無神論者が圧迫されると、彼らはさらに高みの道徳的権威を探すことができないために、一種の孤立無援の境地に陥る。この時、人々は自らを慰めて、「中央は正しい。組織がはっきりとさせてくれるはずだ」と言う。この種の「己を欺き他人を欺く」思考様式は、中共が自らを神格化したことによる結果だ。

 信仰を持つ人は、困ったことあると祈ることができるし、寺院や道観に行って焼香して願を掛けることもできる。ところが、無神論者はどこにも行くことができないため、「困ったら、組織に頼む」ことになり、党に問題解決を期待するのだが、その問題を作っているのが党自身であることを知らない。

 中共が政権奪取後に最初に着手したことは、教育とメディアを独占することであった。鶴の一声のやり方で「無神論」と「唯物論」を注入し、伝統信仰に対して、取締り、歪曲、鎮圧を行い、知識分子に対しては思想を改造し、伝統文化に対しては泥を塗りたくって、「封建」「迷信」などのレッテルを貼り、暴力機械を操縦しては党文化に服しない出家者や知識分子を消滅させ、あるいは生活の糧を断ち切ることによって反対者を脅迫し、その上で個人崇拝の「造神」行動を通して、個人信仰の空白を埋めた。中共にとっては、どのような文化を認めるのかということは、決して学術的な問題や単純な観点の問題ではなく、政治的な問題であると同時に階級的な立場の問題なのである。文化大革命後期には、党文化は遂に精錬されて成熟し、中共が希望する程度まで、伝統文化にとって代わった。悪貨は良貨を駆逐する。新世代は皆、党文化の教育の中で育ったため、正統文化とその観念については、無知で何も知らないのである。

 (※)「北上抗日」とは敗走してソ連に脱出した中共が、日本に対立して戦った国民党政府を誹謗して、まるで自分たちが抗日を主導したように捏造した歴史。

 (第1章完)      待った。

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