兵乱の中の礼楽 ー孔子の志節

兵乱の中の礼楽
ー孔子の志節

ある日、孔子は列の国に遊説に赴く道すがら、匡(きょう)の地へ差し掛かった。匡の人達は、孔子をかつて城に攻め入った悪漢の頭目陽虎ではないかと勘違いして、孔子を捕らえて殺そうとした。

  孔子の容貌は陽虎によく似ており、孔子の馬車を走らせていた弟子の顔剋も陽虎の馬車係にそっくりだったからである。匡の人達には積年の怨みがあり、孔子の馬車を二重三重に包囲した。

孔子は、困難な状況に遭っても相変わらず講義を続け、琴を弾じていた。

「周の文王が残した伝統文化は、私以外に誰が継承しえようか。もし天が正道文化の伝承を途絶えさせようとするならば、後人が教化されることはないはずである。もし天にこの道を途絶させる意志がないのであれば、匡の人達に私をどうすることができようか」

匡の人達は、孔子の気概に感銘を受け勘違いを訂正して包囲を解いた。

孔子の母国である魯は、その後礼楽の教育が最も行き届いた地となった。後年、楚国と漢国が争った際、高祖(劉邦)が兵をもって魯国を包囲した時も当地の儒学者達は、兵乱の中にあっても礼楽の講義を辞めず琴を弾き、孔子の志節を守った。

訳 東 光

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