【忠臣の逸話】他人の目がなくても決して悪事をしない

道徳をわきまえている正直な君子は、人に見られていないからと言って、悪事を働くことはしません。中国春秋時代の衛国の大夫(官職の一つ)蘧伯玉はまさにこのような人物でした。

《列女傳》には彼にまつわる物語があります。ある晩、宮内で衛霊公と夫人が同坐しているところに遠くから馬車が走ってくる音が聞こえました。しかし、馬車の音は宮殿の外の見張り台のところで消えました。しばらくすると、馬車が離れていく音が聞こえました。

衛霊公は夫人に尋ねました。「あの音は誰だか分かるか?」、夫人は自信たっぷりに言いました「蘧伯玉に決まっているでしょう」。衛霊公はまた夫人に尋ねて、「なぜ蘧伯玉だと分かるのか?」夫人はこう説明しました。「礼儀作法に従えば、君主の宮殿前を通る際には下車するべし。君主の馬車馬を目にした際には、敬意を示すため、手を馬車前方の横木に揃えるべし。忠臣や親孝行な者は、自分が誠実であることを見せつけることはしませんし。人目につかないところで、悪事を働くことももちろんしません。蘧伯玉は衛国の優秀な大夫であり、仁を備える知恵者で、目上を非常に敬うお方です。だから、他人が見ていないからと言って、礼儀を粗末にすることはありません。こんな夜更けに律儀に作法を守るなんて、蘧伯玉に決まっております」。

使用人が確認に行ったところ、夫人の予測通り、まさに蘧伯玉でした。しかし衛霊公はからかい混じりに夫人に言いました「あの者は蘧伯玉ではなかった。お前は間違っている」。すると、夫人は衛霊公を祝い、盃を手にして酒を注ぎました。衛霊公はその訳が分かりませんでした。

そこで夫人はこう説明しました「私は衛国に蘧伯玉という賢臣は一人しかいないと思っていました。彼のような者が他にもいるとは思いにも寄りませんでした。つまりあなたには賢臣が二人いるという訳です。賢臣が多くいるということは国の福事なので、祝福したのです」。話を聴き終えた衛靈公は嬉しく思いました。もちろん、夫人に事実を告げることを忘れてはいません。「お前の推測は当っておった。あの者は確かに蘧伯玉だったのだ」。

人の前で悪事を働かず、正しい行いをするだけでは真の君子とは言えません。蘧伯玉は他人が見ていないところでも悪事を働きませんでした。このことは言うのは簡単ですが、日常生活の中でどんなに些細なことでも他人が見ていないところで、どれほどの人が正しく行うことができるのでしょうか?いつも厳しく自分を律する人もいれば、そうでない人もいます。常に正しい行いを気にかけ、他人が見ていないところでのみならず、念を起こす時から自分を正すことができれば、自ずと内からより純然たる善良な気質が現れることでしょう。

(轉載新唐人)

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