「空腹は最高のソース」という西洋のことわざがあるが、古代中国でも同じエピソードがある。
明代の嘉靖(かせい、1522-1566)年間に、大臣を務めた劉氏は、退職すると故郷へ戻ってきた。
当地を管轄する領主は、食事の好き嫌いが激しく、味付けにうるさかった。領主を食事に招くと、必ずと言っていいほど食事に難癖をつけられ、不愉快な思いをする人が後を絶たなかった。劉氏は領主に対するそんな不満を人から聞くと、「領主は昔私の生徒だった。わしが何とかしよう」と申し出た。
劉氏は、領主を訪れて食事に誘った。「貴公のために、ぜひ盛大な祝宴をもうけたいが、いかんせん、貴公は大変お忙しいと聞いたのでお招きするのも恐縮だ。祝宴のようにはいかないが、ぜひ拙宅へおいでいただき、心ばかりの料理でおもてなしをしたい。妻はあいにく遠くにいて家にいないが、使用人たちに何かシンプルな料理を作らせよう。はて、貴公は何がお好みか」
ぜいたくな祝宴ではなく、シンプルな食事と聞いて内心乗り気ではなかったが、儀礼上、かつての先生である劉氏の招待を断るわけにもいかなかった。
領主は、招きに応じて劉氏の家を訪れたが、しばらくたってもお茶が出るだけで食事がでてくる気配はなかった。領主は非常に腹が減ってきた。数時間後、やっと茶碗一杯のご飯とわずかの豆腐が出されると、その場にいた客はみな、ガツガツとそれを食べ、あっという間に茶碗三杯のご飯をおかわりした。もうこれ以上食べられないというほど領主たちが腹いっぱいとなった時、突然使用人たちが次々とおいしそうな料理をテーブルに並べ始め、銘酒がお椀になみなみと注がれた。
しかし、さすがの領主も今度ばかりは食指が動かない。茶碗三杯のご飯を平らげたばかりなのだ。劉氏は何度も領主に食べるよう促したが、領主はかしこまって、「私は、もう満腹です。これ以上、いただく事はできません」と断った。
劉氏はにっこり笑ってこう言った。「どうじゃ、料理は味付けとか、手が込んでいるとか、高価だとか、栄養があるとかなど関係なかろう。満腹になったら、どんな贅沢な料理も興味をそそらない。違いは、タイミングにある。食事が果たす目的はひとつだけだ。腹を満たし、飢えをしのぐことだ。徳を欠く者は食にうるさく、それによって周りに迷惑をかけていることを知らない」
領主は、昔の先生の教えをしっかりと受け止め、それ以後、二度と食事に執着しなくなったという。
(翻訳編集・田中)
( 轉載大紀元 )