この時、乗客の皆は船を降りて上陸する準備をしていましたが、母は私が見当たらないのに気が付くと、あわてて至る所を探しました。母が呼んでいるのを聞きつけて、私はすぐさまそっちのほうを見…
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もし私が依然、普通の人と同じ考え方であったなら、八歳のときに家族と生き別れ、死に別れて以来、数十年にわたって心の中に鬱積しつづけた傷を解きほぐすことはできなかったでしょう。
私は、運命が私の前に繰り広げた艱難辛苦の人生を歩んできましたが、不思議なことに、今日、このように穏やかで寛大な気持ちで、その運命に正面から向き合い、それを書き綴ることができます。私と同じ運命をたどり、当時、「リーベン・ハイズ(日本人の子)」と呼ばれた「中国残留日本人孤児」にとって、これから書き綴る私の運命は、ごくごく普通のことでありながらも、振り返るに忍びないものなのですが。
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(3)
この結末を聞いて、私はとてもほっとしました。母は私に、「みんなが互いに助け合い、励まし合えば、どんな困難をも克服できる勇気と自信が生まれる。そうすれば、きっといい方法が見つかり、生…
もっと見る >≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(2)
第一章 中国への旅立ちと期待 1944年3月、8歳のとき、私は両親と一緒に新潟港を出発し、日本海を西へ向かって中国へ旅立ちました。それが自分の運命に、そして一家の運命にとって何…
もっと見る >≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(1)
はじめに もし私が依然、普通の人と同じ考え方であったなら、八歳のときに家族と生き別れ、死に別れて以来、数十年にわたって心の中に鬱積しつづけた傷を解きほぐすことはできなかったでしょう…
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