正福寺地蔵堂は平坦な武蔵野の鎌倉街道から近い場所にあります。江戸時代、堂内の小地蔵を一体借り受け、願いが成就すると一体を添えて奉納する風習が広まりました。千体ほどの多くの地蔵がいらっしゃるとして親しまれ、毎年11 月3 日には「地蔵まつり」が行われています。
寺蔵の『千躰地蔵菩薩せんたいじぞうぼさつ略縁起』(1802年頃)によれば、北条時宗がこの地で鷹狩の最中に病に罹り、命も危なく見えたが、夢で黄衣の僧から一粒の丸薬を得て全快し、これは地蔵菩薩の霊夢であると感動し、ここに正福寺を建立したと伝わります。実際は、弘安元年(1278)、臨済宗建長寺の末寺として、北条一族の入宋にっそう僧無象静照むしょうじょうしょう(1234-1306)が師の南宋径山寺石渓心月きんざんじしっけいしんげつを勧請開山として草創したものと考えられます。
地蔵堂は本尊を安置する仏殿ぶつでんで、昭和8年(1933)の修理で発見された墨書から、山号が金剛山で、建立年代が応永14年(1407)であることも確定しました。この時代の基準的な作品として大変貴重です。また、立体的な内部の構成、装飾細部の意匠まで、円覚寺舎利殿(国宝、鎌倉市)と大変よく似ています。高度に標準化され洗練された、室町前期の中規模禅宗仏殿の典型といえます。
杮こけら(木の薄板)葺の入母屋造の屋根は強い反りがあり、放射状に広がる扇垂たるき木と、三手先みてさきの詰組つめぐみ組物によって支えられています。平面は、三間四方に一間の裳階もこし(庇)を廻し、裳階の開口部は、花頭窓や弓欄間ゆみらんま、内開きの桟唐戸さんからどなど、禅宗様の意匠を用います。内部は土間で、中央の奥に本尊を安置する須弥壇しゅみだんが設けられています。
須弥壇上部を見上げると、高い位置に大虹梁たいこうりょう・大瓶束たいへいづかを組み、更に上部中央の鏡天井に向かって組物を積み上げた、迫り上るようなダイナミックな構造が目に入ります。頂部から流れるように配された垂木も見事です。
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