チベットの光(50)師弟の別れ【伝統文化】

参考写真 ( Raimond Klavins / unsplash )

師父はまた続けた。「言ってみれば、ノノバ尊者が受けた種々の苦難や私がおまえに与えたような磨難は、度が過ぎた厳格な方法で、後代の人にはもう無用であり、再び用いてはならん」

 「また、おまえはこうも思っているかも知れない。『私は貧乏だ。先生に供養もできなかったから、先生は口訣の全てを与えてくれなかったかもしれない』と。しかしそんな心配は無用だ。なぜならわたしは根本的には供養には気をつけていないからだ。おまえが精進して努力してさえくれれば、それこそがわしにとって最高の供養になる」

 師父は言い終えると、手をミラレパの頭上に置いた。「おまえさんや、さあ行ったらいい。私には非常に残念だけれど、しかし世間の一切は根本的に無常だ。君をここに留めて置くことはできない」

 こうして数日が過ぎ、師父は師母に最もよい法会を準備するよう言いつけ、ミラレパを送ることにした。

 法会のなかで、師父は神通を大きく顕し、金剛体に変化すると、無限の荘厳なる光明を放った。

 師父は以前に顕すこともなかった多くの神通を顕した。そしてミラレパに言った。「これらは単なる神通に過ぎない。それは幻であり、何の用があるわけでもない。今日はミラレパを送る日なので、顕してみただけのことだ」

 ミラレパは、師父がすでに佛になっているのを見て、心中に無限の喜びと信心が湧いてきた。「わたしもきっと修行して、師父のように神通力を具足してみせるぞ」

 「見たか、腹は決まったか?」 師父が問うた。

 「見ました。心の中に比類なき決心と信心が生じました。必ずや修行に励み、将来は師父と同じような神通を具足してみせましょう」

 「よろしい。修行に励みたまえ。しかしこれだけは肝に銘じておいてくれ。人けのない雪山の洞窟や、高山の森深い所で修行して、もし佛になれたら、それだけが師父に対する最高の供養であり、師父母に対する最高の恩返しであり、衆生に対する最大の利益となる。しかしそうでなければ、たとえ百歳まで長命だったとしても、いささかの罪業をつくったにすぎない」

 師父は続けて、「したがって君は、世俗の一切の思慕、人生におけるあらゆる貪念を捨てなければならない。世人と競合して往来する必要などなく、時間を浪費せず、彼らと無意義な世間話に興じることなく、心を修行の上だけに置いて、ひたすら修行に励みなさい」

 「先生、わかりました」

 「これがわれわれ師弟の今生の別れだ」、師父は涙を流しながら慈悲のまなざしでミラレパを見つめて言った。「非常に残念だが、世事は根本的に無常だ。そして、もし君が私の話に沿って修行したなら、また清浄空行の浄土で会いまみえることだろう」

 「おまえの今後の修行で、厳重な障礙を生じることがあるが、その時にこの手紙を開けてみたらいい。しかしそのときが来るまで、絶対に開けてはいけない」。そういって師父は、ミラレパに糊で封をした手紙を渡した。

 師父は言い終えると、師母に言った。「ダメマ!明日、怪力君を送る準備をしておいてくれ。私は非常に残念だが、彼を見送りに行くよ」。そしてミラレパに言った。「今晩は、われわれ師弟にとって最後の夜だ。君と一晩一緒に寝て、過ごすとしようじゃないか」

(続き)

(翻訳編集・武蔵)

転載 大紀元 https://www.epochtimes.jp/p/2021/04/71887.html

関連記事

コメントを追加