弟子規(11)【伝統文化】

尊(Zūn)長(zhǎng) 前(qián),聲(shēng) 要(yào) 低(dī);

低(Dī) 不(bù) 聞(wén),卻(què) 非(fēi) 宜(yí)。

進(Jìn) 必(bì) 趨(qū),退(tuì) 必(bì) 遲(chí);

問(Wèn)起(qǐ) 對(duì),視(shì) 勿(wù) 移(yí)。

事(Shì) 諸(zhū) 父(fù),如(rú) 事(shì) 父(fù);

事(Shì) 諸(zhū) 兄(xiōng),如(rú) 事(shì) 兄(xiōng)。

注釈
(1)低:声を抑える。
(2)聞:聞き取る。
(3)卻:かえって、反対に。
(4)宜:適当である。妥当である。
(5)趨:すみやかに前に進み出る。
(6)遲:緩慢。
(7)起對:起立して答える。
(8)視:看、注視する。
(9)事:仕える。
(10)諸父:父親の兄弟、伯父、叔父。ひいては、父親の同輩までを指す。
(11)諸兄:いとこ。叔父、伯父、伯母、叔母の息子。

【日文参考】
 年輩者の前では声を抑えて話すが、低調になりすぎて聴きにくくなってもいけない。年輩者の面前には、すみやかに進み出でて、退く時にはゆっくりと、何か問われたら起立して答え、じっと注視し視線を他に移したりしない。父親の兄弟である叔父・伯父には、実の父親に仕えるのと同様にする。いとこに対しても、自分の兄弟と同じく仕える。

【参考故事】
 張良は、字を子房といい、漢朝を開国した際の功臣であり、留(江蘇省徐州市県)侯として封じられ、大司徒(注1)を任じられた。

 張良はいまだ小さい時分、江蘇省下邳縣にある橋のたもとを通りかかった。ちょうど風雪に見舞われていたが、そのとき黒頭巾に黄色い服を着た老人が、橋の下に靴を落としてしまった。老人は張良少年を見て言った。「なぁ坊や、わしの靴をとってきてくれんかなぁ」。張良少年はいやな顔一つせず、すぐに橋の下から靴をもってきて両手で差し出した。しかし老人は受け取ろうとはせず、ぬぅと脚を伸ばしてきたので、張良少年は更に恭しく老人に靴を履かせた。すると老人は破顔一笑、「この坊主なかなか教えがいがあるわい!明日の朝早くここに来なさい。わしがいいことを教えてあげよう」と言った。

 あくる日、まだ朝が明けやらぬうちに、張良少年は約束通り来たが、老人はもうすでにそこにいた。老人は言った。「約束通りに来たのはよろしいが、おまえはわしより遅かった。従って道は伝えられない」。こうして張良少年は朝早くから三度駆けつけ、三度目にやっと老人より先着した。老人はわが意を得たりと歓び、手ずから一書を少年に授けた。「この本を読めば、帝王の軍師になれる。もし、もう一度わしを訪ねたければ、山東省の谷城にまで来るがいい。山のふもとの黃色の石がわしじゃ!」

 張良はこの本を読んでから、機に随い変に応ずる能力を身に付け、漢の高祖・劉邦を補佐する軍師となり、天下を平定する礎となった。後人はこの一書を「黃石公書」と称した。

(注1)教化を主管する官僚。

(竜崎)

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