昔、手紙の代筆を生業とする貧乏な知識人がいた。ある年の年末、縁起の良い対句文字(部屋や門前に飾る文字)の代筆の依頼が多く、普段より収入があったため、正月を迎えるために鶏を買った。
大晦日、彼の妻が料理の下ごしらえをしている時に、隣家の使用人が突然、怒鳴りこんできた。「俺がちょっと見ない間に、よくもウチの鶏をさらったな!」あっけにとられている妻を尻目に、使用人は鶏をひっつかまえて、そのまま持ち帰ってしまった。使用人に対して、彼女は何も言わなかった。
その夜、帰宅した知識人は食卓を見て、なぜ鶏がないのかと妻に尋ねた。妻は、「本当にごめんなさい。私がしっかりしていなくて、下ごしらえをしている時に鶏を逃がしてしまいました」と謝った。彼は「いや、私の力不足で稼ぎが悪いからだ。金さえあって、豚肉を買っていれば、こんなことにはならなかったのだ」と妻を慰めた。
翌日の元旦、隣人は早々に知識人に挨拶に来た。「あなたのような仁義の心を持つ者は、必ずや良い未来があります。今年の科挙試験をぜひ受けてごらんなさい」と勧めた。知識人は赤くなりながら、「お恥ずかしい話ですが、僕は飢えを凌ぐことで精一杯ですので、都に行く余裕などありません」と答えた。「あなたの状況は、よく分かっています。どうでしょう、私がお金を工面するというのは。利子も要らないし、いつ返して下さってもいいのです。あなたが必ず成功すると信じていますから」隣人はそれだけ言うと、そこを去った。
隣人の不可解な言動に、知識人は首を傾げた。それ見た妻は、クスっと笑って言った。「きっと隣家の鶏が見つかったのでしょう。実は昨日、隣の使用人がウチの鶏を盗まれたと言って、勝手に取って帰ってしまったのです。これを聞けばあなたが立腹するし、皆が気持ちよく年越しするために、私は鶏が逃げたことにしたのです」。知識人はようやく事の顛末が分かり、妻の機転の効いた思いやりに感心した。
そうこう二人が話していると、 隣家の使用人が主人の用意したお金を届けに来た。
使用人は「主人は昨夜、便所の近くで鶏を見つけてから、誤解があったことに気づきました。誠に申し訳ありません」と謝罪した。「しかし、あなたたちは抗議もせず、取り返しに来ることもなかったので、感服いたしました」と使用人は頭を下げた。「主人はあなたのような寛大な人には洋々たる前途があると言っています」。使用人は、うやうやしくお金を二人に差し出した。
知識人はその後上京し、科挙試験を首席で合格したという。
(翻訳編集・李青)