【脱党支援センター2020年10月25日】
旧暦の12月27日、泣きくれて目の腫れも引かない母は、私を連れて出かけた。我が家のだれ一人として、母の行き先を聞こうとはしない。母に手を引かれ家を離れるとき、私は歩を進めるごとに振り返り、兄たちの表情をうかがった。あれは私にとって初めての、しかも一番の遠出であった。母は道中終始無言で、私の手を引いて歩いた。3時間ほど歩くと、我が家から10キロ余りの所にある西山という村に着いた。その村に入ると、母は私に「ここに目の不自由な伯母さんがいる。あんたの父さんは今年亡くなったばかりで、母さんもどう仕様もない。年越しに必要なものを伯母さんに借りられればいいのだけど」と話した。
しかし、これもほぼ無駄足に終わった。伯母さんは目が不自由で、一人息子も養子であった。彼らの貧乏ぶりは、我が家といい勝負だった。母と私が粥を頂いて立ち去ろうとしたとき、伯母さんのその不自由な目から涙がこぼれた。そして伯母さんは、母の顔と頭をそっとなでると、洞窟から大豆のもやしを一碗分、手探りで取り出して来て、母に手渡したのだった。
帰り道、私たちは、なかなか足が進まなかった。私には、母の考えていることが分かった。道も半ばまで来ると、あたりは真っ暗になった。家まであと2キロという小川に差しかかった時、母は大きな石に腰を下ろし、子供のように嗚咽し始めた。私の手を握りしめる母の手は、激しく震え、汗で濡れていた。
ひとしきり泣くと、母は泣き止み、襟元で涙と顔をぬぐってから、私の頭をなでてくれた。そして、私の涙もぬぐうと、こう言った。「ああ、観音様。この父なし子になった子をお守りください。潤彗(高弁護士の幼名)や、あんたの父さんが逝っちまったから、母さんも途方に暮れちゃってね。でも大丈夫、母さんずっとこんなんじゃないから。年が明けたらまともになるからね」。これは母が涙ながらに言った言葉だ。我々が帰宅したとき、家中の誰もが、今か今かと帰りを待ちわびていた。
それでも「天道、人を殺さず」という。4日後の旧暦の大晦日、我々は叔父さんのくれた500グラム強の肉にありつけた。そして元旦には、多めの大根の千切りに、叔父さんのくれた肉をわずかに加えた具の餃子が食べられたのだ。
それを境に、母は強く、たくましい親へと変貌を遂げる。はるか長い悲しみの後、明らかなる毅然、わが子への強い愛情と責任感は、母を成長させた。この母のもと、我々もたくましく育って行く。
2006年の旧暦の元旦、かつて母と私たちが住んでいた陜西省北部の母の洞窟にて。
(続く)
転載大紀元 エポックタイムズ・ジャパン
インド (138) ウクライナ (223) コロナウィルス (155) スパイ活動 (165) トランプ (299) バイデン (343) バイデン政権 (161) ポンペオ (173) ロシア (327) ワクチン (318) 上海 (207) 中共 (2781) 中共ウイルス (570) 中共当局 (326) 中共軍 (175) 中国 (1962) 中国企業 (148) 中国共産党 (1224) 中国崩壊 (145) 中国当局 (146) 中国経済 (268) 中国製 (145) 人権侵害 (327) 伝統文化 (232) 北京 (234) 北京五輪 (180) 南シナ海 (149) 台湾 (817) 台湾海峡 (146) 封鎖 (154) 抗議デモ (147) 新型コロナウイルス (193) 新疆ウイグル人 (207) 日本 (502) 法輪功 (323) 法輪功学習者 (182) 洪水 (200) 災害 (193) 疫病 (172) 米国 (914) 習近平 (905) 臓器狩り (237) 軍事 (216) 迫害 (210) 香港 (479)