【脱党支援センター2020年10月14日】
三伝は
公羊(くよう)有り
左氏(さし)有り
穀梁(こくりょう)有り
経(けい)既(すで)に明らかにして
方(まさ)に子(し)を読み
其(そ)の要(よう)を撮り
其(そ)の事を記す
三伝とは「春秋」についての三つの注釈書だ
一つ目は戦国時代の公羊高が著した「公羊伝」
二つ目は春秋時代魯国の左丘明が著した「左氏伝」
三つめは戦国時代の谷梁赤が著した「穀梁伝」
四書六經(儒教の経書)を精通してから
諸子百家(思想家の総称)の書籍を読める
各派の経典の精髄を抜粋し、事例を記録した
宋王朝の有名な臣下 趙普は
宋太祖(皇帝)と弟の宋太宗を補佐した
趙普が若い頃はあまり勉強していなかったが
晩年は熱心に勉学に努めた
後に「論語」の20篇を読んでいたと分かった
これが「半部論語で天下を治めた」由来だ
学びて時に之を習ふ、
亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや
(習ったことを機会があるごとに復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことか)
朋(とも)有り遠方より来たる
亦(ま)た楽しからずや
(友人が遠方からわざわざ私のために訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことか)
趙普は幽州薊県(現在の北京市)の人だ
趙匡胤を擁立して宋を建国したので
諫議(かんぎ)大夫(天子を諫める官職)に任命された
枢密使を担当し
後に宰相となった
趙普は正直者で寡黙かつ
何をやるにしても思慮深く、剛毅果断だった
全ての事において 国務に重きを置いた
旦那様!皇帝がいらっしゃいました
早くお迎えに上がりなさい
お見えになることを知らず
どうかお許しを
立ちなさい
ありがとうございます
联は怒っておる
趙普よ
今 国境に駐在している将兵らは
兵を招集し 反乱を画策している
全く話にならない
今日 朕がここに来たのは
そなたに何か提案がないかと思ってな
皇帝に敬って申し上げます
「論語」の中に
魯国の定公は以前 孔子に尋ねました
君主と臣下はどのような関係なのかと
孔子はこう答えました
君、臣を使うに礼を以てし(君主は礼儀をもって家臣を扱い)
臣、君に事うるに忠を以てす(家臣は忠義をもって君主に仕えるべき)
ご参考になさってください 陛下
後に太祖は趙普の意見を採用し
武力行使がなかっただけでなく
将校らを宴会に招き
褒美を与えた
軍隊の指揮権を返上させ
国境付近の火種を解決した
趙普はしょっちゅう太祖のために
良策で問題を解決したので
才能を買われ重用された
宋太祖が逝去し 宋太宗が即位しても
趙普は宰相を連任していたので
他の官吏から疑念を抱かれた
皇帝に敬って申し上げます
趙普は長年にわたり役人をしていますが
知識は浅はかで 宰相には適していません
なぜそう思うのだ?
今の王朝はどの官吏も学識が豊かですが
趙普は「論語」一冊しか読んでいません
それは本当か?
しかしどの公務にしろ 彼は果断に処置している
この事は朕自ら聞こうとしよう
しばらくして 太宗は趙普を引見した
趙普よ
そなたは若い頃 前皇帝を補佐し
国務に追われ
勉強する時間がなかったのを知っている
話では そなたは「論語」しか読んでいないのか?
皇帝に敬って申し上げます
確かに 私は半部の「論語」を読んだだけです
その半を以って先帝を輔けて天下を定め
いまその半を以って
陛下の治世を太平に致しました
これが「半部論語」の言い伝えだ
趙普が亡くなった後
家族が趙普の書箱を開けてみると
確かに「論語」20篇しかなかった
孔子の「論語」は
内容が幅広く奥深い
趙普は「論語」の半部を以って
宋太祖と宋太宗を補佐した
まさに儒家の経典を学ぶことは重要だと分かる
転載NTDTVJP