【脱党支援センター2020年10月12日】
3.伝統文化を否定する
≪序≫で述べたように、中国の伝統文化は一種の半神文化、すなわち神伝文化である。それは、中華文化のさまざまな面に反映され、民間生活の中にも深く根付いていた。中国人は社会倫理を一種の信仰とし、忠孝仁義を、道徳の上下、品徳の高低を評価する最も重要な基準とした。
中国では、不忠、不孝、不仁、不義である場合、その人は社会での存在が認められない。『詩経・周頌』にあるように、「天の命は、神聖で厳かである」。古代の中国人は、神霊が「天」の裏側に隠れており、道徳と世俗生活の最終審判者は「神」しかないと信じていた。
仏教が中国に伝来した後、中国の民間では次第に、天国、地獄、輪廻転生、善悪応報を固く信じるようになった。このような観念は、中国人の倫理道徳の基礎の一部となり、中国伝統文化の基礎ともなった。
中国文化の中でさらに重要な部分は、中国歴史上の知識人たちによって築かれ、それが、過去の歴史を評価し、未来の社会を予測する文化知識の基礎となった。世界中で、中国人ほど歴史を重視する民族はあまり例がない。中華民族が文字を創造して以来、歴史を記録することが、歴代の最も重要な仕事になった。
漢字を創造した倉頡は、黄帝の史官(歴史の記述を担当する官職)であった。また、春秋戦国時代、斉国の伯、仲、叔、季の 4人の太史(史官)の中で、3人が斬首されたが、それはただ、「夏の五月の乙亥の日に、崔杼はその君主である光を弑した」という事実を書いたためだ。竹簡に文を書くのは容易ではないが、司馬遷は宮刑に遭った後、暗い油燈の下で、竹簡に 50万余字の 『史記』を記した。漢代より以降、「隔代修史」(後代は前代の歴史を纏める)の伝統により、中国は世界で唯一連続した正確な史書をもつ国家になった。
歴代の史書編修者は皆、当代の大儒学者であり、「歴史に関する学問、見識、才能、道徳観」を兼備していなければならなかった。事件を記録した後、時に「太史公曰く」 や「臣光曰く」のような評論があった。それらは、儒家の観点に立ってこの事件に対する著者の是非論断を表したものである。
このため、中国の史書は、歴史事件の真実を記録しただけでなく、当時の官制、天文、地理、水利、商業、兵法、音楽、科学など諸方面の百科事典式の著作でもあり、その中に史書編修者が持っている儒家の道統も含まれている。
このような儒家の歴史観は、重厚な中華伝統文化を受け継いだものであったが、これは、中共政権が当初から消滅しようとする対象でもあった。そして、共産党が中国文化を消滅させるための有力な武器は歴史唯物主義である。
この歴史唯物主義は、歴史の発展を「階級闘争」の結果、または生産力と生産関係との矛盾の結果だと解釈し、無産階級は資産階級との闘いの中で政権を樹立し、共産党が無産階級の先鋒隊として自然と権力を掌握すると断言した。
このような階級分析の方法で考えれば、古代の帝王や知識人たちがいくら良いことをしたとしても、搾取階級の代表者として、全てが否定され批判されるべきであり、逆に暴動を起こした反逆者たちは、たとえ彼らがいくら人々を殺害し、いくら婦女たちを姦淫したとしても、彼らは無産階級で圧迫されていたものだから、全てが宣揚され賛美されるべきである。同様に考えれば、民の利益を保護した歴代の清廉な官僚たちは、「階級矛盾」を緩和し、搾取階級の統治を継続させたものとして、私腹を肥やした悪徳な官僚よりも厳しく批判されることになる。
中国人は、「生死に命あり、富貴は天にあり」、「善悪に報いあり」と信じ、富貴名利のすべては、前世と今世で積み重ねた所業の結果だと認識していた。富貴になろうが、貧窮しようが、「達すれば天下を救済することを兼ね、貧すれば即ち独りその身を善くする」という中国の古代社会では、共産党の「階級闘争」史観に宣揚された「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という歪んだ論理など存在しなかった。
中国の伝統文化は、包容力のある文化であり、儒教・仏教・道教の三つが併存し、儒家の学説中でも、程朱の理学と陸王の心学が併存し、道教でも南方の正一教と北方の全真教とが併存し、仏教でも禅宗、浄土、天台、華厳等のさまざまな宗派が並存し、西洋のキリスト教、カトリック、ギリシャ正教、ユダヤ教、回教等、すべてが中国文化と相容れることができた。
これは皆、中国人の広い包容性と調和を重視する精神の顕れであり、事実、中国ではこれまで、宗教間の戦争や宗教内部の宗派間の戦争は、起こったことがなかった。
ところが、このような包容思想は、中共の階級闘争の思想と明らかに対立しており、消滅の対象とされた。
中共は、闘争のために闘争したのではなかった。それには少なくとも二つの目的がある。一つは、人々に闘いの中で互いに信頼を失わさせ、ばらばらの砂のようにすることによって、中共が統制しやすくするためである。
もう一つさらに重要な目的は、中共が趙高の「鹿を指して馬だと言う」という権謀術数(※)を使って人々を操ることだ。すなわち、鹿を指して馬だと認めた者は、趙高に信用され重用されたが、良心が残っていたため黙して語らなかった者は排斥され、それを認めない者は殺されてしまった。
ただ、趙高のこの権謀術数は、ただ宮廷内で行われたに過ぎなかったが、中共はそれを全国民に強要した結果、それが「大衆文化」となったのである。例えば 、「土地改革」、「鎮反(反革命分子の鎮圧)」、「商工業改造」、「演劇界の制度改正、人物の変更と物語の改変」など、多くの運動は皆、「鹿を指して馬だと言う」ことの踏み絵(検証)となった。
このような運動に、国民全員が必ず参加しなければならず、必ず態度を表明しなければならなかった。そして、踏み絵を踏むか踏まないかの二者択一の中で、中共に与しないものは、階級闘争の対象となったのである。
道家は「真」を尊び、佛家は「善」を本とし、孔子は「仁」と「信」を主張した。ところが、共産党の歴史はまさに、「偽」、「悪」、「闘」の歴史だ。
1987年、中共が定めた「公文書法」の第19条の規定によると、一般の公文書は30年経過すると、一般公開して国民が誰でも閲覧することができる。しかし、中共は今に至るまで相変らず、抗日、内戦、鎮反、土地改革、大飢饉などに関する歴史的資料を公開することを許さず、毛沢東、周恩来がスターリンと締結した中ソ秘密条約を公開する勇気もないようだ。中共は虚言によって隠蔽した罪悪が暴露されるのを恐れているのである。
唯物主義は、精神領域の問題について全く無力である。例えば、「美」に関する理解はその一例だ。雨が降った後の虹、夕陽に染まった夕方の風景を唯物主義者たちはただ、電磁波のスペクトラムだと分析するだけだ。人間の愛情は人類自身のホルモンの変化だと簡単に片付けられてしまう。そして、人類の思いやりは、些細な凡俗の恩恵だと理解されてしまう。
根本的に、人間性の美しいものはすべて、共産党統治の障害だと見なされている。中共は、否定的な意味を持つ「人間性論」という言葉を生み出し、党員に対しては、「党性(党員の規範)」で「人間性」を圧倒する必要があると言い、一般人に対しては、「人間性」は革命が徹底していない現われだと見なしている。
中共は文芸宣伝の中で、かつて「禁欲主義」の旗印を高く掲げて、愛を否定し家庭を否定していた。しかし、最近の10年間で、中共は「禁欲主義」から180度転換し、「縦欲主義(欲望のままに振舞う)」を奨励するようになった。
このような前後相反する政策を実施したのは、実は同じ理由によるものだ。以前人々に禁欲を強制したのは、共産党に忠誠を尽くさせ、党性を家庭と人間性より高い位置に置かせるためであったが、共産意識が壊滅した現在は、人々をエロとギャンブル、不倫などに誘い込み、人倫道徳を喪失させて、享楽の渦の中で党に反対する暇を持たせないようにするためだ。このような前後相矛盾する政策は、中共の統治の歴史の中でよく見られるものであり、その背後の目的は共産党の統治を維持することにほかならない。
儒家文化の核心は家庭の倫理であり、この種の家庭倫理が注目するものは、愛情であり、仁愛である。共産党の宣伝の中では、階級意識が愛情と友情にとって替わった。例えば、「紅燈記」(党文化を宣伝する演劇)の中で、李玉和が歌っているように「人々は、世の中でただ肉親の情義だけが重いといっているが、私から見れば階級の情義は泰山より重い」というものだ。いわゆる「敵か見方か、階級で分ける」というものだ。
互いに階級の「同志」になったものは、すなわち革命大家庭の一員であり、「同志」にならないものは鎮圧の対象だ。「同志」か「敵」かという単純な二元対立関係ですべての社会関係を区分し、それが肉親あるいは友だち関係の上に置かれた。階級闘争が必要な時は、父子間で反目し、夫婦で仇となり、自分の肉親を告発し検挙し殴ることで、自らの階級性が人間性より高いことを示し、党への忠誠を示すのである。
中共の宣伝の中に、「恨みをしっかり銜えて放さず、それを噛み砕いて無理やり飲み込めば、心の中に入り込んでやがて芽が出る」というものがあり、同様の歌詞が中国に溢れている。怨恨は、共産主義の動力の一つであり、共産主義の重要な情感の一種でもある。国民に怨恨の感情を繰り返し注入することによって、中共の各種の群衆運動を推進する原動力としてきた。それに対し、世の中に普遍的に存在する同情、気遣いと愛、善良などは、共産主義の階級感情の敵であり、必然的に消滅される対象となったのである。
「階級の苦しみを忘れるな。血と涙の恨みをよく覚えておけ」(イラスト=大紀元)
(※)秦の当時、奸臣・趙高が、皇帝に鹿を捧げて馬だと強弁したエピソードに由来した言葉で、嘘なのに本当だと言い張って他人を服従させるやり方。
転載大紀元 エポックタイムズ・ジャパン
(続く)