唐代に創立された茶道は、中国および人類文明に大いに貢献した。宋代、明代に商業貿易の繁栄とともに、茶道は時代の風潮になり、お茶の文化は次第に文化人から家庭や、社会に普及した。宋代、明代の茶道の特色は、質朴で、静かな心を大切にし、日本の茶道のような表面的な形式をあまり重視しなかった。明代以後、中国の茶道は中国の文化と民俗の一部になった。
日本の茶道
日本の茶道は中国から導入され、親しい知人と一緒にお茶を飲みながら、書画と生け花を観賞する社交活動となった。茶道具は、季節ごとに、掛け軸、茶花、客人の好みを考慮して、心をこめて選び抜いた最高級品を使い、一層お茶の雰囲気を際立たせるのである。日本の茶道は人に安らかな気持ちを与えると同時に、人生と自然の融合などに関して思考の機会を与えた。
欧米の「茶道」
お茶を飲む習慣は中国から日本に伝わり、さらにアジアから全世界に伝わった。16世紀にオランダ、フランス、ポルトガル、イギリスの探検家は、お茶を自国に持ち帰ってお茶のブームを起した。
イギリスの王室と上流社会で飲まれる「午後の紅茶」は、世界でも有名で、豪華な茶器と豊富な茶菓子が一層人々の耳目を集めた。そして、お茶を飲む時間が、社交、交流、学術討論に活用された。
アメリカ人は、お茶パック、アイスティー、インスタントのお茶を発明して、お茶の大衆化を推し進めた。
(梅溪子・台湾大学教授林仁混氏の講演から)
(轉載大紀元)