中国三国時代、諸葛亮の死後主帥を亡くした蜀国は緊迫した情勢に陥りました。しかし、丞相になった蒋琬は平然として朝政に臨みました。
正史ではこう書かれています。「憂いも喜びもない表情、普段と同じような立ち居振る舞い」。人々は徐々に彼に信服するようになりました。
蒋琬は寛大で思いやりがある人です。当時、楊戯という無口な役人がいました。蒋琬が話をかける時に彼はいつも返事をしません。すると周りから、「丞相は楊戯に話しているのに、彼が返事しないとは失礼極まるのではありませんか?」と耳打ちしました。
蒋琬は、「人はそれぞれだ、表にみえるものは心の現れだ。表では従順にし、背後で批判する者は古人が警戒する者だ」「楊戯がもし僕を讃えたらそれは彼の本心では無いのだ。もし僕に逆らうのであれば、僕に足らないところがあるからだ。だから、黙っているのがまさに彼の賢いところだ」
のちに人々は蒋琬を「度量が大きい」と讃えました。
また、楊敏という者は、蒋琬は「ことの処理はめちゃくちゃで前人(諸葛亮)に及ばない」と悪口を言いました。周りは楊敏を懲罰すべきだと求めたが蒋琬はこう言いました。「私は本当に前人に及ばない、彼を咎めることはできないのだ」。その後、楊敏はあることで罪に問われ死刑に処されると予想されたが、正直で公正な蒋琬の調査で彼は重罪を逃れました。
正史では蒋琬を「真面目で威厳があり諸葛亮のやり方を改革せずに継承したから、国境は安定し、国も国民も平和に暮らした」と讃えました。
(轉載新唐人)