多くの人にとって、夢は神秘めいた不思議なものだと感じます。普段では見られない情景を目にしたり、天国や地獄が見えた人もいたりします。また、亡くなった親戚や友人に会ったとや夢を通じて未来を予知する人もいます。そして、夢は人々にヒントを与えることもあり、それによって社会が発展し進歩しました。科学史においてこのような事例は少なくありません。
今日、我々が学んでいる科学知識の多くが夢からヒントを得たものです。このような夢にまつわる7人の科学者の逸話があります。
アインシュタイン
アインシュタインはかつて、「自分の生涯は全て少年時代に見た夢から始めた絶えない思考がもたらされた」と語りました。
米心理療法士でもあるジョン・W・プライス(John.W.Price)牧師はラジオ番組のインタビューで、あまり人に知られていないアインシュタインが見た夢を話しました。
「彼は山の麓に向かってスキーをしていました。どんどん加速して、光の速度に近づいた時に全ての色が融けあい、一体になりました。アインシュタインはこの夢に啓発されて、それからの生涯の殆どは、彼は光速に達した時にどんなことが起きるのかを考え続けたのです」
アインシュタインが14歳の時 学校の先生に次の質問をしました。「もし自分が光速で飛行した時に、鏡では自分の顔が見えなくなるのでしょうか」
アインシュタインが相対論を考えはじめたのはこれがきっかけです。
ドミトリ・メンデレーエフ
元素周期表を発明したロシアの化学学者ドミトリ・メンデレーエフは過去において、すでに分かっている65種類の元素をまとめようとしました。彼はこれらの元素を順序よく並べられる何かの法則があると考えていました。しかも、その法則は原子量と関係するはずだとも考えていましたが確実に定めることはできませんでした。
のち、メンデレーエフが過去を振り返った時に言いました。
「私は夢の中で、ある一覧表を目にしました。表の中にそれぞれの元素がきちんと並んでいました」
「私は夢から目が覚めてから すぐにその表を紙に書き留めました」
メンデレーエフが35歳の時でした。
元素周期表はこのように出来上がったのです。彼が夢の中で見た周期表は的確でした。一方、一部の元素の計量が間違っていたことも明らかになりました。
各々の元素は各々の原子量によってそれぞれの位置に収まっています。また、それまで、多くの元素の原子量は未知のままでした。メンデレーエフはまだ発見されていない元素のために周期表に空欄を残しました。それからの数年間、彼が予言した11種の元素は次々と発見されました。特に第18族元素のヘリウム・ネオン・アルゴン・クリプトン・キセノン・ラドンなどの発見で、元素周期表に新たな元素の族が増えました。
元素周期表は大きな地図のように、のちの化学研究に道しるべの役割を果たしています。
ニールス・ボア
デンマークの物理学者ニールス・ボアは水素原子のボア・モデルを提唱した人物です。彼はある共著論文の中で、自分が夢をみた話をしました。
「自分が太陽の表に座っており、全ての恒星は細い線のような軌道に沿って運行していました」
のち、彼は水素原子のモデルを作り物理学の変革をもたらしました。
物理学者、化学学者のほか、有名な数学者や作家も夢からヒントを得ている人は少なくありません。
(続く)