危難の中で 人が行なうべき仁と義の道

【脱党支援センター2020年5月9日】

清朝の順治甲午年(1654年)3月、晋陵(しんりょう)というところに顧成と言う人が住んでいました。一度、息子の嫁の銭が隣村の実家に帰っている間に、顧成が住む村には疫病が発生し、感染が広がりました。そのため、この村を訪れる人が誰もいなくなり、親戚でさえも怖くて見舞いに来なくなりました。不幸なことに、顧成夫妻も疫病に感染し、その後、息子や息子の嫁など8人にも次から次へと感染し、皆はベッドに横たわって息も絶え絶えでした。

 銭は舅と姑、そして兄弟たちが疫病に感染したことを知り、とても心配して急いで帰って彼らの面倒を見てあげようとしました。しかし、両親は娘の安全を考慮して、戻らないようにと一所懸命引き留めました。銭は「夫は私を娶(めと)った時、老いた舅と姑に孝行してほしい、面倒を見てほしいと言いました。今、このような災いの前で、舅と姑を放っておいていいのでしょうか。彼らが危篤になっているのを知りながら、帰らないのは畜生と同じではないでしょうか。必ず帰って彼らの面倒を見ます。たとえ私が死んでも後悔はしません」と言って、急いで帰りました。

 家に着くと「神々に守られているあの孝行者の嫁が帰って来た。我々は早く逃げよう」と、人影が見えず、声だけが聞こえてきました。しばらくすると、顧成一家はなんと皆が全快しました。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/1/400553.html)

明慧ネット転載

関連記事