何千年もの昔、大洪水があった伝説が世界中のいろんな民族で伝えられています。例えばギリシャやインド、マヤ文明など、また聖書に記されたノアの箱舟の物語はとても有名です。中国にも大禹(だいう)治水の話があり、当時の大洪水の規模と被害の甚大さ、そしてその治水の難度は現代人類の想像を超え、多くの人がそれが神話伝説だと思い込んでいました。しかし南京師範大学地質学者・呉慶龍教授が率いるチームが発表した研究論文がその歴史を証明する有力な証拠を示しました。
2007年、呉慶龍教授が中国黄河沿岸で調査を行った際、教授は一部の沈積物の厚さが異なることを発見しました。大洪水による沈積物は20メートルの厚さで黄河の高さより50メートルも高くなっています。「稀に見る凄まじい破壊力を持つ大洪水であることを示しているのです」
共同執筆者・米パデュー大学グランツ博士は言いました。「流量は毎秒約30〜50立方メートルでアマゾン川巨大洪水と同じくらいです」「過去一万年の地球上において人類が知っている最も大きい洪水です」「黄河地域での最大降雨量による洪水の500倍です」
研究チームは 、この大洪水は紀元前二千年に地震が引き起こしたものであると発表しました。これはちょうど 中国の堯・舜・禹(ぎょう・しゅん・う)時代の大洪水発生時期と合致しています。
興味深いことに、他の民族の歴史においては人々は大洪水から避難するだけでしたが、中国にだけは大洪水に対抗し治水を行った記録があります。『史記・夏本紀』の中に次のように記されています。伝説の堯(ぎょう)帝の時代に大洪水が発生し、大禹の父親である鯀(こん)が治水を命じられ、土を埋める方法を取りましたが、9年もの時間を費やしても止めることはできませんでした。すると舜は堯帝に大禹を推薦しました。大禹はまず中国の全ての地を巡回し観測して詳細な記録を取りました。厳密に考察したうえ、大禹は自然の規律に従い「疎導」(そどう)とよばれる方法で洪水を海へ導くことにしました。大禹は人々を率い、山を切り拓き水路を作ったりして、13年の年月を経てようやく治水に成功しました。
大禹の治水は困難を極め、現代の我々も想像がつかない巨大土木工事でした。大禹が切り拓いたとされる龍門山は東西に分かれた二つの山の真ん中に伊河が流れていますが、これまでは4千年前という大昔に当時の簡単な道具で大きい山を開鑿できるわけがないと思われてきました。しかし 現代の地質学者らは東西にある二つの山に多くの裂隙があり、西と東の山の裂隙をぴったりと合わせることができることを発見しました。分かれた二つの山は元は一つの山だったのです。大禹はどのようにこの山を二つに開鑿したのでしょうか
中国は古くから「神州」とされ、中華文化は「神伝文化」すなわち神から授かった文化と言われてきました。歴史の記載にも三皇五帝聖人の時代には神と人が共存していたと記されています。『黄帝内経』では 上古の時代には「神人」、「智人」、「聖人」が存在し、多くの奇跡と物語が語り継がれています。大禹の治水は人力だけのものではありませんでした。
古書『竹書紀年』によると、大禹治水の時に2冊の珍しい上古の書物『河図』と『洛書』が発見され、これらの本から、中国九つの州の山と川の分布や地形を理解し、治水時の注意事項を知ることができました。また治水の過程において 神々の助けもあったことで不可能と思われた巨大な工程を完成させることができました。
米科学誌『サイエンス』の副編集長は呉慶龍教授らが発表した論文を読んだ後こう言いました。
「この研究は我々に古代中華文明に対して理解を深めさせ、文明の起源と古代文明の社会環境の出現を実証しました」
大禹治水が事実であることが有力な証拠によって証明されています。最近、伝説の「ノアの箱舟」もトルコで発見されました。古に語り継がれている伝説の多くも実際にあったのかも知れません。
(大紀元日本ウェブ編集部)
(轉載大紀元)