昔、子供がいたずらをすると年配の人がよく「お天道様がみているよ」と言って諭したものです。善行も悪行も、天がすべて見ているという感覚を養うことは、子供の躾において良い面があるのかもしれません。清朝の時代に書かれた「閱微草堂筆記」から、因果応報の理を説いた小説をご紹介します。
昔、崔(さい)という男がいた。ある日、崔は金持ちで権力ある一家との争いに巻き込まれたが、負けてしまった。彼は身の潔白を示す十分な証拠があったが、訴訟では聞き入れられず、悲しみと憤りで打ちひしがれていた。
その夜、崔の夢の中に、亡くなった父親が現れた。彼は息子に言った。「人は人間を騙すことができても、神を騙すことはできない」
父親の話によると、あの世には、この世で犯したすべての罪を映す鏡がある。人間はその罪の重さによって神の裁きを受け、恐怖に怯えるのは悪事を働いた者だという。父親は、あの世の判事たちに茶を淹れる仕事をしているから、よく分かるのだと言った。
「あの世の判事たちは、すでにお前が不当に扱われた案件をすべて記録している。だから、心配する必要はない」と父親は続けた。
崔は目覚めると、心がすっきりしていた。因果応報の理を悟った彼は、その後、自分が不当な扱いを受けても不満を持つことはなくなったという。
(翻訳編集・郭丹丹)
(轉載大紀元)