藤原敏行は、平安時代前期の歌人,書家です。書は空海に並ぶと言われるほどの書道の大家でもあり、立派な人だと思いきや、『宇治拾遺物語』では、食い気と色気にほだされて地獄に落ちた様子が描かれています。
発願して再び現世に戻る
この前、行き会った二百人の軍隊は目を怒らし、敏行を恨めしく見つめていました。敏行は怖くて震えながら
「本当に助かる方法はないでしょうか」と、再び獄卒に聞きました。獄卒は「四巻経を書き奉る旨、今すぐ発願せよ」とひそかに言うので、敏行は、今まさに門をくぐるというところで、「自分の罪科は四巻経を書き供養して贖う」と願をかけました。
敏行が地獄の役所に着くと、裁判人が「あれが敏行か」と問い、「そうです」と獄卒が答えました。裁判人は敏行に聞きました。「あなたは何か為したことはあるのか」。敏行は「特にございませんが、人の依頼を受けて仏経を200部書き写したことがあります」と答えました。
「本来あなたにはまた命が残っているが、あなたが書いた仏経が汚らわしく、清くないまま書かれた旨の訴えがあり、こうしてあなたを絡め取ってきたものである。訴え出た者へあなたの身柄を下げ渡し、彼らの思いのままにさせようと思うのだ」と裁判官は言いました。
敏行は大いに驚き「私は四巻経を書き奉ると発願しており、願いをまだやり遂げていないので、今、罪を贖うことはできないのでございます」と申し出ました。
裁判人は驚き、「そんなことがあったのか、過去帳を引いて、調べよ」と言いました。裁判人が敏行の過去帳を引いて調べて見れば、そこには敏行が生前に犯した罪が一つも漏れずに書かれていました。確かに罪つくりな事ばかり掲載されていて、功徳になることは一つもありません。ですが、門に入る前にかけた四巻経の発願が過去帳の最後に記されていました。
「なるほど。ではあなたに帰って発願を遂げる機会を与えよう。間違いなくその発願を遂げて来なさい」と裁判人が裁定を下すと、二百人の軍隊はさっと姿を消しました。
「生き返った後、必ず発願を遂げなければいけない」と裁判人は再び言いました。
続く
参考資料:
『 宇治拾遺物語』
(翻訳編集・唐玉) (轉載/大紀元)