【大紀元日本11月18日】
まえがき 言語―民族の魂と記憶
人類がその記憶の保存、情報の交換、経験の伝承、後世への教育のための道具となるものは言語である。民族の魂と記憶として、言語はその民族が生命の根源に対する究極的な思考、価値観、歴史的智慧、思惟方式、審美嗜好、社会風習を凝結している。言語はその民族の自然界との関係、世界中におけるポジション、民族全体の生存形式と発展方向を示すものである。言語は文化の一部分でありながら文化の媒介物でもある。文化という大系統の中の最も重要な支系統は言語である。
『易経・系辞下』(『易傳・系辞下』)に、「古者包犧氏の天下に王たるや、仰いでは則ち象を天に観、俯しては則ち法を地に観、鳥獣の文と地の宜とを観、近く諸を身に取り、遠く諸を物に取り、是に於て始めて八卦を作り、以て神明の德に通じ、以て萬物の情を類す(「昔、天下の王・包犧氏は天象、日月、星、大地、動物、植物、人間など自然体を観察して八卦を作り、それをもって神明の德に通じ、萬物の状況を表す」)」という記載がある。
上記は八卦の起源について述べたものではあるが、その記載そのまま中国の言語の起源を語ることもできよう。先祖たちは自然界と人類自身の形状を元にして、半分抽象的、半分具体的な符号を作り出し、これをもって天地万物を表現すると同時に天地神明と交信した―これが中国語の起源である。起源は中国語の形と発音に宇宙との間に絶妙な連帯感を持たせるもので、言語は天・地・人の交流の架け橋となった。
人類物心両面の活動はすべて言語を仲介としているから、言語はその民族の独特な精神と風貌を託され、言語は民族の文化の現れともいえよう。それで、文化を創造することは言語を創造することで、文化を壊滅させるにはその文化を載せる言語を壊滅させることを通じて実現できるともいえよう。
古人は云う、言は心の声なり、文は道(思想)を載せるものであるという。古人は敬虔な気持ちで天より賜った文字と言語を大切にした。現存する古典書籍から先祖の言語と言語に託した精神を一瞥することが出来る。奥深くて精微な『周易』から簡潔且つ透徹たる『老子』まで、美しくておとなしげな『詩経』から高潔たる『離騒』まで、大義を載せる『春秋』から雄健且つ重厚たる『史記』まで、実直な仏教経典から婉曲且つ絢爛たる漢詩まで、中国語は中華民族の高度な知恵、豊かな内心世界、怠ることのない精神的追求をすべて記録した。
自尊心を持つ民族は必ず自分の言語を尊重して、自愛する民族は必ず自分の言語を愛護して、向上を止まない民族は必ず自分の言語を有効に使う。
しかし、近代の中国は様々な内憂外患と屈辱に遭遇して、軍事と外交に失敗を重ねたため、国民は漸次中国の文明と言語に対し自信を喪失した。白話文運動、エスペラント語運動、漢字廃止、線装本を便所に投げるなど、知識人は次々と急進的な案を出した。深刻な危機感に陥った国民は深く考えずに、いくつかの案を受け入れて、それから中国語の純粋さは少しずつ浸食されはじめた。このようだが、これら部分的な言語と文字に対する破壊と変異は、政権の大規模な介入がないため、中国語に対して致命的な打撃をもたらさなかった。
中国共産党が政権を奪い取った後、正統的な中華文化はその独占統治の最大の障害として見なされた。それだけ多い人口を相手にして根こそぎに伝統を葬る方法は不可能なため、中国共産党は寄生虫のように内部から民族文化を壊滅させる方法を選んだ。それで、中国語の表面の形を受け継いで、共産党文化の内容を注入し、党文化の毒素を民族言語の体に付着させた。このような方法は中国共産党にとって、まさに「最小コストで最大収益を得る」ことであった。
中国共産党は宣伝部門、文化部門、教育部門を利用し新聞、放送、映画、テレビ、文化団体を統制した。そして、いつに立って終わらない会議、山積みのような公文、絶えることのない狂暴な政治運動を通じて、新たな党文化言葉と特殊表現を大量に造り出して、字典、辞書、教材、言語審査部門の命令でそれらを日常生活に固定させた。簡体字の普及のせいで若い世代は古典を読めなくなった。中国共産党の御用学者らは共産党が新たに言語の規範と美学の基準を作ったと吹聴した。小学から大学までの一貫教育を通じて学生は邪悪な、醜い、偽り、硬直な党文化を当然のように吸収した。今日になって同志、宣伝、貫徹、実行、闘争、労働模範、代表、会議精神、路線、認識、指導者、上級、号召(呼びかけ)、奮闘、委員会、思想報告、自我検査、批判と自己批判、など「党八股言葉」が公文、新聞雑誌、書籍と日常生活に充満して、「党話」(※)は現実に10数億中国人が使用する言葉となった。中国共産党が故意に作った言語環境に人々は毎日暮らしているが自覚できず、今使っている言語は民族言語の自然発展の結果だと思って、天下の正常な人がすべてこのように話すと思っている。まさに党八股を離れるとどのように話せばいいかを知らないのだ。
中国共産党は国家政権を駆使して民族文化と言語に与えた傷害は、空前な罪ともいえよう。言語は思惟の道具である。党文化に深刻に汚染された言語は、国民の中国共産党と党文化を批判して、民族の未来を構想することを大いに妨げた。中国共産党に作られた言葉を使って中国共産党を批判するような「珍現象」に注目しよう。中国共産党を糾弾する文章に依然として中国共産党が政権を奪い取ることを「解放」と言う。『脱党声明』の中で「私は『新しい中国に生まれて、赤旗の下に成長してきた』一代だ」と言い、中国共産党を批判しているか感謝しているかが分からない。中国共産党政権の崩壊寸前、正常な人類文化が回復される今日に、民族言語に付着している「党話」の本質を見分けて除去することは、一刻も猶予できない任務になった。
※「党話」とは、共産党のイデオロギー的要素を内包する言語的表現手法。