【大紀元日本3月3日】
1.宣伝機関総動員で党文化を押し広める
3)国民の思想を統制する常套手段
(5)正義を装う悪党、嘘を非難しながら嘘を撒き散らす
今日の中国人はすでに、「党八股」(共産党の宣伝文章の文体)に熟知しているが、その宣伝の中の矛盾点やでたらめな所に気がつかない場合もよくある。毛沢東は「我々は大衆を信じ、党を信じるべきだ。これは二つの根本原理だ」と言った。しかし、もし大衆がすべて党を信じなくなったなら、我々は誰を信じるべきなのか?
劉少奇は 「ニュースの報道は客観的で、真実で、公正でなければいけない」と言った。とてもいいことを言っている。民主国家のメディアもこれらを目標にしている。しかし、彼は続いてこう言った。「同時に利害関係を考慮し、人民やプロレタリアの事業に対して有利かどうかに注意すべきだ」。この話はどんな意味をもつのだろうか。利害関係が真実という原則と衝突する場合、どちらが重視されるのだろうか。それに、「プロレタリアの事業」に有利になり、人民に対しては有害になる場合、どうすればよいのだろうか?
更に劉少奇は次のような実例を挙げた。「例えば、スターリンは多くの誤りを犯し、反革命分子の粛清闘争の中で誤って多くの人を殺した。これは真実である。しかし、もしこれを報道したら、当面の闘争に対して非常に不利なことになる。これは立場の問題である」と言った。
スターリンはどれほど人を殺したのだろうか、概算では、1929年から1953年までスターリンの弾圧によって犠牲となった旧ソ連の国民は1950万~2000万におよんだ。(戦争時の犠牲者は含まれない。)この人数は当時のソ連の総人口の1割に相当する。
中国共産党の宣伝を有利にするためならば、2000万人の犠牲者を無視してもよい。これがつまり、劉少奇の言う「客観的、真実、公正」ということだ。むろん、これは彼の一貫した立場である。40年代に彼は「いわゆる善し悪しの分け方は、党の仕事、党の利益から出発すべきである。ほらを吹いたりするのは本来よくないが、仕事に有利であれば、それはよいことに変わり、行なうべきである」と言ったことがある。
今日の中共政権は、「偽りの報道に反対する」と言いながら、「厳しく政治の原則を守れ」と要求し、また、一方で「全て事実から出発する」と言いながら、真実を報道する勇気ある記者を逮捕している。また、嘘をつく本質を持ちながら、資本主義国家の報道は「欺瞞」だと攻撃している。中共の本質を知りたければ、その言い分を聞くだけでなく、その行いを観察することがより重要である。
(続く)