1999年、中共は民間の修煉法である法輪功を弾圧し始めた。この時にもやはり「科学を尊び、迷信を打破する」というスローガンを土台にして、「邪教に反対する」という名目で法輪功を弾圧した。その後、他の気功門派と地下教会に対しても弾圧を行なった。警察当局がキリスト教地下教会の信徒を逮捕する理由は、「神を信じることは、党に反対すること」だからだ。根本的な原因をつきつめてみると、無神論を基礎にする中共独裁政権は、民間の信仰を許すことができないばかりか、「党中央」の上にさらに至上の神が存在していることを受け入れることができないのだ。
中共は進化論と現代科学の宣揚を通じて、党文化の理論的な根拠である無神論を確立し、甚だしくは人々の耳目をひく「科学無神論」という言葉まで発明した。しかし、科学的な倫理から言えば、共産党は無神論の成立をまだ証明していない。
正統な宗教的観点によると、人は神が創ったものであり、人が神の存在を否定することは、実験室の培養シャーレの中にある細菌が人の存在を否定するようなものである。何故ならば、現代科学の実証方法から言えば、無神論を実証しようとすると、必ず宇宙のすべての空間と時間範囲で神の存在を否認しなければならないが、ここには当然人類がまだ認識さえできていない空間と時間の範囲が含まれるからだ。
宇宙はこれほど大きく多様で複雑なのに、そのマクロからミクロまでの物質空間の中で、人だけが高級生命だと誰が保証できるのか。生命の存在形式は、私たちが分かっているタンパク質、アミノ酸に依存する形式に限られていると誰が保証できるのか。さらに言えば、現代宇宙物理学の研究では、人類が観測することのできない暗黒物質が宇宙空間の3分の2を占めているという。言い換えれば、たとえ人類の現存観測技術を総動員しても、相変らず宇宙の3分の2は未知に属するということだ。
現代理論物理学で唱えられた「膜宇宙理論」によれば、私たちの宇宙はただ私たちが認識することができる3次元空間だけではなく、幾多の空間が多層膜の形式で超空間の中に存在していると認識されている。言い換えれば、他の空間が存在する可能性があるというのだ。それなら他の空間に高級生命が存在しないと誰が保証できるのだろうか。もし他の空間に高級生命が存在し、しかも、その中の生命は人類を遥かに超越した大慈悲を持ち、宇宙真理を洞察した高い知恵と人間の想像を超えた能力を具えていれば、人類にとって、このような生命は佛、道、神ではないだろうか。故に論理的にも技術的にも、もちろん科学的な角度から言っても、無神論を立証するのは不可能な事だ。
ここでは、個人が無神論を信奉することに反対しているのではない。一人の個人として、神を信じようが信じまいが、それは非難するにはあたらない個人の自由な選択だ。正常な社会では、有神論の信仰と無神論の信仰とは共存してもよいはずだ。しかし、政府が強制的な手段で社会全体に無神論を押し付け、神を信仰する人を弾圧することによって、社会全体が信仰を失ってしまえば、必然的に伝統的な価値観の存在基盤を失い、社会全体が物欲主義に傾き、欲望放任主義の泥沼に落ち入ることになるのだ。
(続く)