【党文化の解体】第2章(15)2「調和と共存に回帰する道」

毛澤東「権力は銃口から生まれる」
(イラスト=大紀元)

5千年来の中国の歴史で、中華民族もかつて各種の災難を経験したが、周辺種族たちを同化させる過程で、彼らを凝集させ融合させて「泛中華」の文化大国となった。歴史上、モンゴル族と満州族はかつて中原に侵入して統治したことがあったが、結局はいずれも強大な中華文化に同化され、今では中華民族の一部分になり、清の康熙皇帝は自ら中華の千古一帝(連綿と続く中の一帝)になろうと言ったのである。

 党文化はただ歴史的に中華民族の先祖が伝えた知恵を断絶させただけでなく、同時にまた西洋の優秀な文明を敵視した。かくして、党文化に洗脳された中国人たちは、ただ党文化で言う「権力は銃口から生まれる」(毛澤東)、「機関銃、大砲こそ一番権威ある物だ」(エンゲルス)、「物質の力はただ物質の力によってだけ破壊することができる」(マルクス)ということだけを信じるようになった。

 中国に、「武力で天下をとることはできても、武力で統治することはできない」ということわざがある。歴史的に、武力で政権を奪った例は少なくないが、自国民に武力を振るうことによって政権を維持し、結局民衆たちの間に内部紛争を引き起こし、社会構成員が皆自然に、暴力を矛盾解決の第一の手段にするようになったのは、恐らく唯一中共の「独創」である。

    たとえ中共が今日また、いわゆる 「調和社会」を打ち出したとしても、その真の目的は、実は社会の下層民衆たちが二度と陳情に来ないように、自分たちの正当な権利を持ち出して合法的に抗争したりしないように、また彼らが中共の腐敗に対して批判的な意見を言わないように望んでのことであり、その根本的な目的は中共の統治を維持するためだ。

 従って、党文化に包装されたこのようないわゆる「調和」は、中共の飾りに過ぎず、伝統文化の「和をもって尊しとなす」とはまったく違うものだ。

 事実上、暴力的な手段を通じて人類の社会矛盾を解決した場合、往々にして結局は社会的に得るものより失うもののほうが多くなる。数十年間の流血闘争は、既に中国社会に癒すことができない傷を残した。矛盾した双方は、「食うか食われるか」の闘争関係のほかに、共存関係、調和関係としても表れうるが、闘争関係が最も破壊的である。

 1960年代のアメリカのマーティン・ルーサー・キング牧師が指導した人権運動は、如何なる武力も使わなかったが、黒人、さらにはすべての白人と有色人種の平等権を勝ち取り、アメリカの歴史を変化させた。インドの国父として仰がれ敬われるガンジーは、平和で理性的な方法でインド人の独立を勝ち取り、人類の歴史上でとても良い模範を残した。

 アメリカが9・11テロ攻撃を受けた後、一部の地域でアラブ系移民を襲ったりかき乱す事件が現われた。しかし、メリーランド州のあるイスラム寺院に落書きがされたとき、ある高校の女教師が何人かの友人と連絡をとりあい、このイスラム寺院の外でイスラム信徒たちのために一週間夜間歩哨に立った。オハイオ州のイスラムセンターには、ムスリムではないアメリカ国民から献金が寄せられた。また、多くの異なった人種の女性たちが、ムスリムの衣装を着て通りに出て、他の宗教信仰と異文化を持った民族に対して尊敬と支持を表わした。

 9・11 事件が発生した4日後、あるムスリムの女学生が民族衣装をまとって、非アラブ系の同級生たちと一緒にバイキングで食事をしようと席に着くと、いくばくもなくしてウェイトレスが近付いてきた。23歳のムスリムのこの女学生は、ウェイトレスが自分たちを追い出すものとばかり思った。ところが、ウェイトレスは食事代の30ドルを返して、食堂側で彼女たちに無料で食事を提供することになったというのだ。

 ウェイトレスは、自分は戦争を見たくないし、ムスリムの女学生が勇敢にも民族衣装を着て外出したことに敬服すると語った。ウェイトレスが去ってから、その女学生は涙を流した。

 あるパキスタン系の医師は、9・11後の初めての金曜日に、イスラム寺院にお祈りに行った。彼は、途中で人に罵られるのではないかと、内心心配で恐ろしかった。ところが、彼がイスラム寺院に来てみると、門の前には50余名のキリスト教牧師と信徒たちが集結して、団結と連合を示す垂れ幕を持っていた…。

 このパキスタン系の医師は、「彼らによって私は慰められ、平和な気持ちになった。アメリカの強大さは、軍事力の強大さと科学の進歩にあるのではなく、この国の大多数の国民の心に偉大な精神が隠されているからだ」と言った。

 アメリカ人のこういった国の愛し方は、中国人に一つの啓示を与えているのかもしれない。中共の党文化の汚染の下にある多くの中国人の心では、「愛国」はもはや「憎悪」と同義になった。

 反日感情と反米感情のいずれも、中華民族の強大な精神の支えにはなれないということは言うまでもない。アメリカは多民族の移民国家として、たぶん各種の互いに違う文化を包容することができたからこそ、その優勢が現れたのかもしれない。

 「己の欲せざる所を他人に施すなかれ」は、伝統文化の中の美徳だ。「天と戦い、地と闘争し、人を治める」という党文化を捨てて、調和と共存に回帰してこそ、民族の強大な精神的根源とすることができるのである。

 (続く)

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