2)進化論は実証されていない仮説
1859年、ダーウィンは『種の起源』で、一握りのとりとめのない事例を根拠にして、唐突的に生物の進化という仮説を提言した。すなわち、今日の複雑な生物界は簡単な原始生物から一歩ずつ進化して来たというものだ。しかし、自然科学の発展につれて、大量に発見される新しい事実から、進化論に対して峻厳な挑戦が提出された。
(1) 脆弱な論理的基礎
多くの人々が、「先祖返り」現象をよく知っている。中国の人民教育出版社のサイトにある「中学校生物教学資料」には、このようなくだりがある。「人類には、偶然にも短い尻尾が付いたり、長い毛がはえたり、二つ以上の乳頭を持つ女性が生まれたりする場合がある。このような現象から分かったのは、人類の祖先は、多分尻尾があり、長毛で、多乳頭の動物であった。それゆえ、先祖返りの現象もまた生物進化の一種の証拠だ」。
このような論理に従うと、生まれた時点で頭がない赤ん坊はもっと多いが、ならば、人類の祖先は大脳がなかったのだろうか?先天的に四肢の不健全や手の指、足の指が多くなる場合もある。手足のこのような奇形も「先祖返り」の現象だと言えるのだろうか?進化論の枠から飛び出して考えれば、いわゆる「先祖返り」の現象は、遺伝子の変異などによりもたらされた奇形か欠陥にすぎず、人類の祖先と結び付けて考えるべきではないものだ。
科学の概念では、もし一つの理論の存在根拠に論理的な矛盾があれば、この理論は成立しない。しかし、人々は進化論の論理的な間違いに対して深く追究してこなかった。当然ながら、深く追求すれば、進化論の成り立つ根拠はそもそも存在しない。多くの人々は、これを聞いたら驚くかもしれない。ただ、問題点を明らかにすれば、もっと驚きを感じるかもしれない。
比較解剖学の証拠は、進化論が存在する三大証拠の一つだ。比較解剖学によれば、哺乳類の中で、鼠の足指、コウモリの羽、イルカのひれと人間の手は皆似た骨格構造を持っているという。このため、ダーウィンは、それらが皆同一の先祖から遺伝して来て、ただ進化の過程で機能が違うからそれぞれ違う外形に分化したのだと推測した。
ただ、このように、比較解剖学の根拠で進化論を論証しようとすると、論理的な間違いが存在することは明らかだ。なぜならば、同一の祖先を持っているという仮説から論理的に四肢骨格構造が似ているという結論を推論できるが、その逆方向の推論は必ずしも成立しないからだ。ちょうど冷蔵庫で氷を作ることができるが、氷は必ず冷蔵庫で作ったものだと言えないのと同じだ。
古代生物の化石も進化論の三大証拠の一つだ。しかし、進化論の支持者たちが古代生物の化石で進化の過程を論証する場合、進化論の推理方式に依拠して行っている。例えば、中国の有名な猿人「北京原人」の確定は、ただ3本の人類の歯を根拠にして推断されたものだ。藍田猿人の確定は一つの下顎骨、丁村人は3本の歯と頭蓋骨の一部、馬壩人は一つの不完全な頭蓋骨を根拠にして推断されたものだ。…
それらを何かしらに推断しようとしたら、進化論の推理方式に嵌めて行わなければいけない。ここで一つの論理的な欠陷が暴露された。つまり進化論に由来した推理方式を用いて、さらに進化論を証明しようとしている。これは明らかに循環論証なのだ。いわゆる西洋の猿人(ネブラスカ人)の発見は、このような論証の論理的欠陷を充分に暴露した。
1922年、ニューヨーク自然史博物館の生物学者ヘンリー・F・オズボーン博士が1本の歯を見つけて、この歯はオランウータンと猿人と類人猿の特徴を同時に具えていると言った。彼は、この歯の持ち主にネブラスカ人という名前を付けた。そして、進化論を信じる人は、ただ1本の歯に基づいて、この原人の想像図を描いた。しかし、1927年、更に深く研究した結果、この歯の持ち主は、すでに絶滅した野生の猪の一種であることが明らかになった。
それなら進化論は帰納法であるのか?そうではない。帰納することができない事実があまりにも多いのである。
かつて進化論は帰納法だと唱えた人がいる。この論理的思考は少し難しそうだが、実際はさほど理解しにくいことではない。帰納法というのは、まず一つの命題を提出して、もし関連する問題をすべてこの命題で帰納することができたら、この命題は真理であるということだ。しかし、進化論については、帰納することのできない事実があまりにも多いのである。
前に言及した史前文明の証拠から見ると、進化の速度、生物種の爆発的な発生、進化の確率などあまりにも多くのことが帰納できないばかりか、むしろこれらのことは皆進化論を否定している。したがって、進化論の論証は帰納法として成立しているとは言えず、実はこれまた循環論証なのだ。
是に似て非なる「循環論証」は進化論を一貫して貫いている。人々は皆これに慣れてしまい、当たり前のように思っている。しかし、厳格に分析してみれば、きっとびっくりするだろう。